ABOUT

●シェフの紹介
 代表の石和良は、日本国内で最高峰の辻調理技術研究所の第一期生として料理やサービス技術を学び軽井沢プリンスホテルのレストラン料理長を務めるに至った。その後数々のホテルやレストランで料理長兼支配人を歴任後に独立。長野県内で10店舗の飲食店プロデュースを手掛け大ヒットさせてきた。
 この料理人としても経営者としても活躍するマルチな才能を期待され富山県氷見市内のレストランにヘッドハンティングされた後、富山県南砺市内のホテルにもヘッドハンティングされ料理長として従事した。
 更に、このホテルで知り合った恩人の夢である飲食店を手掛ける事となり、結果として店舗開業からコロナ前の二年間は地域繁盛店としてメディアに取り上げられるほどの話題となった。しかし、コロナの影響から一緒に働いていた夫婦にその事業を譲り氷見市へ戻って『一品料理&懐石料理 古粋koiki』を開業し現在に至る。

『一品料理&懐石料理 古粋koiki』では、懐石料理とうたいながらもメイン料理が氷見牛と富山ポークのハンバーグで、〆は氷見の魚を使った握り寿司という意外な組み合わせが評判を呼びリピーターが続出中となっている。
 一方、シェフの料理レパートリーはジャンルを超えた対応に定評があり、最近では飲食コンサルティング・料理研究家としても活躍の場を広げている。


●料理人によるハイブランドショコラの誕生

一般的にチョコレートはパティシエやショコラティエが創造するものだと思うでしょう。
しかし、超一流料理人の方が斬新なアイデアで新しい商品を提供することができるのです。

そもそも歴史的には、
中世のフランスで、教会で使用するパンや焼き菓子を作る職人が、器やパイ生地などに肉や魚を詰めて焼く料理「パテ料理}を作る仕事にも従事するようになり、パスティ(挽肉などの詰め物料理)を作る者(パスティシエ)に分化して、やがてパティシエと呼ばれる様になったと言われています。つまりパティシエのルーツはパン職人だったのです。また当時パン職人は砂糖を利用する事が禁止されていたため、パン職人とパティシエの職業分化が進んだと言われています。
加えて、洋菓子全般を扱う菓子職人がパティシエであるのに対して、そこからチョコレートに特化した職業が生まれ、それがショコラティエと呼ばれるようになったそうです。
他にも、コンフィズール、グラシエ、ブーランジェなど、様々な料理が長い歴史を通じて職業分化されたと言えるでしょう。

その分化によって洋菓子独自の文化を構築してきたわけですが、
現在は、①食文化における多様化、②流通環境の向上、③インターネットによる情報収集力容易化によって、おいしいものを食べたいと思う方々が増加し、色々なものを提供できる状況になったと言えるわけです。
この様な社会環境の変化によって、食材に関する知識が豊富な料理人がパティシエやショコラティエなど専門家では「考えつかない」調理方法等の発想でデザートを開発できる能力があると言えるのです。

当店シェフの料理はジャンルを超えた対応が可能であることは説明したとおりです。フレンチ及びイタリアンにとどまらず、和食や中華と言った幅広いジャンルをプロの料理人として情熱を燃やして来たシェフだからこその発想をショコラ作りに活かしたハイブランドショコラを提供することが可能なのです。